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初めての海外旅行は韓国の南海郡のホームステイ!

僕が初めて韓国に行ったのは20代の前半。

市民講座で無料の韓国語教室に通っているときに、先生の地元の南海郡にホームステイすることになった!

初の海外旅行!

とても緊張してて、今考えると変なんだけど、やはり外国と言うことで怖かったのだろう。

「怖くないぞ!!」と心の中で叫びながら、スチュワーデスをガン見してた(笑)

空港に着くと、まず驚いたのが、匂い。

にんにくの匂いだ。

お国柄だね (笑)

バスに乗って目的地まで行く途中に、目に付いたのはの街の色だった。

看板などが日本と比べて原色を使っているようでカラフル。

あぁ近いと言ってもやっぱ外国に来たんだな・・・。と思った。

山は日本のように植林されておらず、地表が剥き出しのところが多かった。

だから韓国ドラマでは山登りの場面が多いのかな(笑)

途中、韓国軍の兵隊さんが警備しているところがあった。

珍しいから写真撮ろうかなと思ったが、「軍関係は写真に撮らないで下さい」と注意を受けた。

国際的には常識なのだろうが、ちょっとしたことで軍事機密が漏れたりするのを防ぐ目的もあるのかもしれない。

また、軍隊が身近にあると、日本では「戦争は起こらない」と感じている人が大多数だろうが、韓国では兵役もあるし、南北の問題もあるし「戦争は起こりうる」という意識がやはりあるのだろうなといことに気付いた。

南海郡に入ると、ニンニクの匂いは更に強くなった。

ニンニクの有名な産地らしく、一面がニンニク畑だった。

南海郡に着くと歓迎会が韓国の焼き肉屋で行われた。

焼き肉が旨いと聞いていたからワクワクしていたが、どれも辛い・・・。

辛すぎて食べられない (^_^;

唯一美味しく食べられたのは、芋の甘煮ぐらい。

それから、ホームステイする家に行った。

ご高齢の市長もいらっしゃっていて、日本に国際交流員としてきている韓国語教室を主宰する先生が通訳していたのだけど、その市長が「俺が翻訳する!」と流暢な日本語で通訳をしてくれた。

20年前だから、韓国が日本領だった頃に日本語教育をされた名残であるらしい。

その当時はほとんどの老人は日本語を喋ることが出来たという。

市長は誇らしげに「美しい自然と綺麗な空気という環境を保つために、工業施設は入れないで農業などの第一次産業だけで、市政をしている」と言っていた。

そう言われれば、海も空気もとても澄んでいた。

1日目はそんなこんなで終わり、寝る時間になった。

が、オンドル(床暖房)が暑すぎて眠れない。

オンドル調整のスイッチがあったから、温度を低く設定してもまだまだ暑い。

冬だったから外は凍えるように寒いのだけど、その家のご主人はタンクトップと半ズボンだった。

途中で、「オンドルの温度下げた? 寒くて眠れないから元に戻すよ」といわれ、地獄の釜のような暑さの中、お国柄の違いだねと思いながら、無理矢理眠った。

そういえば、韓国から来た人は日本の冬は寒すぎて必ず電気毛布使わないと眠れないといっていた。

翌日、起きると、僕が僧侶で、その家は佛教だからと、お勤めをさせてもらった。

それから、朝食。

「日本人のために辛さを抑えました」という朝から豪華な食事。

それでも、食べられないほどに辛い・・・。

韓国人の知り合いは日本では必ず一味唐辛子をバッグの中に入れてどこでも使うといっていたから、韓国で生活するのは、俺には無理って思った (笑)

2日目のイベントは、本場のキムチ作りだった。

もう作り方は忘れてしまったが、やはり自分で創った本場のキムチは辛いけど旨かった。

材料をお土産に買っていって、何回か自宅でも創ってみた。

韓国人のソウルフードキムチ。

どの家庭も自分で作るらしい

僕たちからは日本人のソウルフード? おにぎりを紹介して一緒に作った。

韓国にはおにぎりの文化がないらしく、慣れない手つきで、最初はだんごのような丸いおにぎりを作っていた。

おにぎりを作るときは「ギュッ」と締めるが、それを知らないようで、こうするんだよって教えたことを覚えている。

当時は韓国語はほとんど喋れなかったから、交流はあまり出来なかったけど、楽しい想い出だ。

20年前ほど前の話で、写真もあまり残っていないから、記憶はあいまいだけど印象に残ったことを記してみた。

この旅行が僕の韓国熱の原点なんだろうな♪

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